今宵もうすぐ、月食が始まりますね。
惑星食とのコラボは442年ぶりとか。
一般市民の私としては、そのレア度を重視してワクワクしていますが、ブライダルMCとしては、ちょっと違うことを考えたりします。
それは『欠けていくことに』『その後満ちていくことに』美しさを感じるのは何故なのだろう…という点です。
まずは『満ちていくこと』に…
私の前に現れる新郎新婦は、圧倒的にお互いが足りないものを補い合うお二人が多いです。
静かな人には社交的なお相手が、心配性な人には「大丈夫だよ」と言ってくれる人がちゃんと寄り添っているから不思議。
逆もまた然りです。社交的な人の隣りには、ホッと休める場所を届けてくれるお相手が、「なんとかなるさ」と楽観的な人の隣りには、几帳面に物事を進めるお相手が居るものです。
自分自身が欠けているからこそ。
お相手が自分には無いとても大切な要素を持っている人だと気づき、魅力的に感じるのでしょう。打ち合わせで眺めていても、パズルピースの凸凹のように相性の良さを感じます。
そんなコラボで、今ある状態よりも更に満ちて行くことは、なんて幸せなことでしょうか。
二人は一緒になり、満ちて行くことを楽しんでいる真っ最中です。
一方で『欠けていくこと』について…
結婚打ち合わせという人生最高潮のステージに現れたお二人には(これから結婚式を迎える新郎新婦には)、決して言えませんが、結婚はきっと満ちていくだけではありません。
あまりに近づいた二人は、お相手の存在で「欠けていく自分」にも出会うことになるでしょう。簡単に理解できることだけでも、自由に使えるお金は減るし、人前でイイとこ取りされるし、お風呂の温度設定ひとつ取っても譲り合い・せめぎ合い。どちらかが必ずグッと堪える場面が出てきます。
『満ちていくこと』は誰にでも気持ちよく映り、『欠けていくこと』はこうやって言葉にすると全く素敵なことではないのに、でも私たちは満ちていく月の前の欠けていく月も美しいと思って眺めます。私は、そこに私たちの営みとの関係性を見出したいと考えます。
今宵もし、月食の前半『欠けていくこと」を見逃したら、私たちはきっとがっかりするでしょう。満ち欠けはセット商品。欠けていったものが満ちるからこそ美しいのです。
又、最初から月食を見ることが出来た人が、『欠けていくこと』を美しいと思って眺められるのは、その後に満ちることを知っているからでしょう。一見欠けているようでも、実際の月は何も失われていないという安心感もそこにはあるかもしれません。
私たちの人生もそのように送ることができたら…
結婚をして、私が、私という自由や、私というアイデンティティを失い、欠けてしまったと思っても、欠けたからこそ満ちるチャンスが生まれたとは思えないものでしょうか?
月のように厳かに欠けていくなんて到底できないけれど、私自身は何も失われていないということに堂々として、甘んじて欠けていけたらと思います。
その姿は実はとても美しく、その後必ず満ちる自分とセットして、何十年後かに眺めた時、それはとても美しい満ち欠けになっていることと思います。
打ち合わせでは言えないけれど…結婚は満ち欠けの始まりです。何も変化がないよりよっぽど幸せ!と思って楽しんでください。私も楽しみます。
ブライダルMCの林圭子でした。